春日野の歴史

 春日野道商店街の歴史はまず、町名にもなっている通り名に注目したい。北から東雲通、八雲通、日暮通と、和歌にも見える日本的なやさしい名だ。

「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」(素戔鳴尊)
「みつか夜のまだ臥し慣れぬ芦の屋のつまもあらはに明る東雲」(藤原隆家)
「布引の滝見て今日の日は暮れぬ一夜宿かせ峰の笹岳」(澄覚法親王)

 次に語らずにはいられないのが旧西国街道。西国街道といえば、奈良時代の大宝律令により始まった、京の都と九州の大宰府を結ぶ幹線道路。西国街道と呼ばれるようになったのは江戸時代からで、興味深いのは、この地で「本街道」と「浜街道」に枝分かれして、生田筋で再び合流していたこと。内陸部の「本街道」は大名行列などに、海岸沿いの「浜街道」は庶民の生活道路として利用された。大正時代には、ここ春日野道商店街と本街道の交差点に阪神電車の春日野道駅があったとされ、そこから南へ、神戸市電で浜街道へと乗ることもできた。

 さて、春日野道の春日とは…かつて籠池通あたりに奈良の春日大社から勧請を受けた春日明神が祀られ、その周辺を春日野と呼んでいたらしい。そして、春日野道のルーツは、神戸に外国人居留地が設置されたことにさかのぼる。春日野周辺に新たな外人墓地ができたのに伴い、明治36年、西国街道までの道路が開通したのである。

 明治の終わりから大正にかけて、神戸の東の拠点として発展し、戦前までは西の都心・新開地と並ぶ繁華街として賑わい、また、小野中道商店街とともに神戸の三大商店街と言われた。戦後も鉄鋼、製鉄やゴムなど多く工場が集まる中、市場拡大とともに、行員たちが楽しむ立ち飲み屋など独特の下町文化が根付いたのだ。

 平成も四半世紀を超え、日本津々浦々、古き良き商店街がなくなりつつあるなかで、対面販売ならではの醍醐味がまだまだ楽しめる春日野道。今日も歴史を刻んでいる。

引用元:春日野道商店街振興組合『春日野道商店街 ガイドブック』2012年発行,10ページ